今朝は,高松から再び徳島へ向かいます。早朝の出発ということで,ホテルの朝ビュッフェはスルーしてJR高松駅へ。
駅前に,何とも雰囲気あるたたずまいのうどん店がありましたので,フラっと入りました。
高齢のご夫婦が営まれているお店で,“讃岐うどんブーム”など関係なく,実直に美味しいうどんを提供されています。うどんはもちろん,油揚げ,天ぷら,すべて自家製ということです。
予備校業界屈指の鉄道ファンであり,日本の餅(もち)を愛して止まない河合塾英語科講師K氏より,恐れ多くも“麺鉄”の称号を賜っておりますが,本日は早朝より“麺鉄”としてなかなかよいお仕事ができたのではないかと自負しております。
特急「うずしお」で快適に徳島へ戻って来ました。
ここからは,ばんやむなく,乗り心地の悪い路線バスに乗ります。
旧第十村にある第十バス停にやってきました。
珍しい地名です。
珍しい地名のバス停を見るのが目的ではなく,「吉野川第十堰」を見るのが目的です。
20年以上前になりますが,新たな可動堰の建設に反対する環境活動家が跋扈する舞台となった場所です。ちなみに,堰とは,農業用水を取水するために河川の水位を上げたり,海からの塩水の遡上を防いだりするなどの機能をもつ構造物です。
「吉野川第十堰」と聞くと,吉野川の10番目の堰だとよく勘違いされますが,第十村にある堰という名称です。
徳島市内に戻り,「徳島ラーメン」発祥の店「いのたに」へ。
徳島ラーメンは,とんこつダシの醤油味スープに,煮込んだ豚肉と生卵がのるスタイルが定番です。
徳島ラーメンを堪能した後は,
JR高徳線で吉野川を渡って,2013年センター試験の「地域調査」の大問で新旧地形図比較の読図問題の 題材となった鳴門市へ行ってみることに。
文章正誤問題で,この「小鳴門海峡」の渡し船について出題されました。
対岸の「高島」に渡って,「舩本うどん本店」でB級グルメ「鳴ちゅるうどん」をいただくモクロミでしたが,昼間の時間帯のため,なんと次の出航時刻まであと1時間20分もあるじゃあないですか!
ということで,このモクロミはあきらめて,
市内を散策します。
文章正誤問題で,「塩田跡地が市街地化した」という内容が出題されました。
このあたりの住宅地も,もともとは塩田でした。
文章正誤問題で,「干潟の一部は埋め立てられ,大規模な施設が立地した」という内容が出題されました。
塩田はなくなりましたが,今はその歴史を引き継いだ製塩工場が立地しています。
また,こちらも,干潟の一部が埋め立てられて立地した大規模な施設となります。
ここで食事代を捻出いたしまして,
この大規模な施設内のフードコートに「舩本うどん」のお店がありましたので,鳴門のB級グルメ「鳴ちゅるうどん」をいただくことがかないました!
それにしても,「鳴ちゅるうどん」,名称がちょっとふざけてますね。
「鳴ちゅるうどん」をいただき,“麺鉄”マインドに勢いがついたため,「たらいうどん」をめざしてJR徳島線の石井駅までやってきました。大きな樹木がランドマークになっています。
「たらいうどん」は,本来はもう少し内陸部の旧御所村が本場なのですが,鉄道旅では行動範囲が鉄道沿線に限られるため,石井駅近くのお店でいただくことに。
開店までまだ時間があるため,付近を散策。
「先生駐車場」!
しかも,“先生”部分だけ赤文字となっています。
自分は職業上,“先生”とよばれることが多いのですが,実は不快に思っています。なぜなら,“先生”とよばれる職業には,政治家をはじめ,医師,弁護士,大学教授,教諭など,ろくでもないものばかりです。もちろん立派なヒトもたくさんいますが,ろくでもないヒトもたくさん見てきました。
突然,テーマは飛躍しますが,
この近辺に邪馬台国の女王“卑弥呼”の墓があるということで,約30分歩いて,天石門別八倉比売神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)へやってきました。
そして,“卑弥呼”の墓といわれる石積みは,この神社の奥の院に鎮座しています。五角形であることがポイントであるそうです。
たしかに神々しい雰囲気に包まれた空間です。
山を下りて,欲望うずまく俗世間の世界に戻ってきました。
たらいうどん「山のせ 本店」にて,「天婦羅たらい」を注文。
器がちがうだけで味わいも1.2倍増といった感じです。
外国人観光客の流入と,政府が実施する“全国旅行支援”とやらに踊らされた情報弱者の中高年が,アホみたいに大挙して旅行をはじめた結果,手頃でまともな宿泊場所の確保が難しいため,再び高松市内へ戻ってきました。
本日はここまで。
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