第5回は,「昭和時代の三大予備校①」です。
今回は,「“THE YOBIKOU”代々木ゼミナール」に迫ります。
予備校としての代々木ゼミナール(以下,代ゼミ)の大きな特徴は,講師が気分よく講義に集中できる環境を提供してくれることです。
「講師の代ゼミ,教材の河合,椅子の駿台」という有名な格言のとおり,講師の授業力を武器とした戦略をとる予備校ですので,河合塾や駿台予備校とは比べものにならない,予備校講師として一流(ヒトとして一流かどうかは別次元)の人物が多く出講していました。
わたくしが研伸館予備校を辞めフリーの予備校講師として,最初に出講した予備校のひとつがこの「代ゼミ」でした。当時はギリギリ,“バブル時代の代ゼミ”の痕跡がところどころに生き残っていましたので,“バブル時代の代ゼミ”の雰囲気を疑似体験する貴重な機会もありました。
たとえば,
どこの校舎でも,講師室担当は美しい女性職員で,いつでもコーヒーやオレンジジュースなどを出してくれます。現在のK塾のように,自分で10円玉を握ってカップ式自動販売機へ買いに行く必要性はありません。
講師室の椅子は一脚10万円程度のもの,化粧台やトイレ設備などもゴージャスなつくりとなっています。現在のK塾のように,老朽化した洗面台の蛇口からはチョロチョロとしか水が出て来ず,手を洗うのにもイライラするようなことはありません。
授業開始のチャイムが鳴ると,局長(校舎事務局トップの役職)と講師室担当の美しい女性職員が,授業に向かう講師をエレベータ前まで案内し,「どうぞ,よろしくお願いいたします。」という言葉とともに深々とお辞儀をして見送ってくれます。
これは,校舎職員がきわめて丁寧に講師を扱っている場面を常に受講生に見せることによって,代ゼミの講師は超一流であるということをアピールするための“演出”なんです。
校舎事務局トップが講師室にやって来ず,一度も顔を合わせないまま開講後2か月が経過するといった現在のK塾某校舎と到底同じ業種とは思えません。
講義終了後は,もちろん黒板を消す必要はなく,講師室に戻ればお茶を出してくれます。
校舎閉館の放送を流し,講師のプロジェクター機器の後片付けを急かすといった現在のK塾某校舎と到底同じ業種とは思えません。
また,神戸,大阪,京都間の校舎移動にも,当然ながら新幹線チケットが支給されます。
現在のK塾のように,通勤ラッシュのサラリーマンとインバウンド観光客にまみれながら,満員の新快速で校舎間移動をするようなこともありません。
さて,一方で,代ゼミのもうひとつの大きな特徴は,弱肉強食の資本主義体制がとられていることです。
利潤追求と市場原理により,受講生を多く集める講師は優遇され,そうでない講師は容赦なく授業を減らされ淘汰されてゆくという「ハイリスク・ハイリターン」の“THE YOBIKOU”です。そのため,講師間の生き残り競争は熾烈で,社会主義体制がとられるK塾とは別世界です。
そして,いよいよ少子化の進展により,予備校バブルは過去のものとなり,
2013年,全国27校舎のうち20校舎を一斉に閉鎖し,超一流の特別待遇の講師と教材作成の要員となる二流講師を除き,ある年齢以上のすべての講師と契約更新を行わないと発表されました。いわゆる“代ゼミショック”という出来事です。
このあたりも代ゼミらしいのですが,円満な契約終了や後々のトラブルの防止を目的として,契約更新を行わない講師に「一時金」が支払われました。まさに「手切れ金」です。
わたくしも校舎内のバブリーな応接室で,西日本統括本部長と面談しました。
「“腐っても鯛”と言いますが,さすがは昭和時代の“THE YOBIKOU”,“腐っても代ゼミ”でございますなあ。」と談笑して,とても気分よく代ゼミから撤退したことを鮮明に覚えています。
ということで,代ゼミは,昭和時代の三大予備校からはいち早く離脱しましたが,予備校バブル期に得た潤沢な資金により,全国の主要都市の一等地を取得し重厚な校舎を建設してきたため,現在でも優良な不動産物件を所有しており,大学,商業施設,オフィスへの賃貸,ホテルへの改装,再開発など,不動産業で大きな収益を得ているようです。
昭和時代の三大予備校のうち,結局のところ最後まで生き残るのは,弱肉強食の資本主義体制を知り尽くした「代々木ゼミナール」なんじゃないかと思っています。