第7回は,「昭和時代の三大予備校②」です。
今回は,「“有益なビジネスパートナー”河合塾」に迫ります。
わたくしが河合塾への出講を開始したのは,20年くらい以前のことでしょうか。
おもしろいことに,同じ三大予備校でありながら,代々木ゼミナールとは180°異なる世界がひろがっていました!
代々木ゼミナールが,開放的で自由であり,ビジネスのパートナーとして個人が重んじられ,あっさりとした人間関係と対等な構造をもつのに対して,河合塾は,排他的で閉鎖された縦割り組織であり,独自のしきたりや同調圧力が非常に強く,濃い人間関係と序列構造をもつ共同体といえます。
“良識人”からみれば,河合塾の講師も代々木ゼミナールと同様に「奇人変人」ばかりですが,この環境の違いが講師の特徴にも反映されていました。ただし,この20年間で時は流れ,以下のような講師の多くはすでに遠く連れ去られ講師陣は入れ替わったため,現在は状況が変わってきていることを前置きしておきます。
当時,最初に出講した際の河合塾の印象。
株式会社経営である民間企業の「研伸館予備校」や,“THE 予備校”の「代々木ゼミナール」といった“鋭敏”な環境のなかで仕事をしてきた人間からみれば,講師の多くは“ボヤ~”としており,老人病院の待合室のごとく“ニブ~い”雰囲気が講師室に充満していました。包んだオブラートを剥がして言えば,“愚鈍”というフレーズがピッタリでした。
さて,これまで河合塾において,“シンジラレナ~イ”という光景を目の当たりにした具体的事例は多過ぎて挙げるとキリがありませんので,代表的な特徴を3つほど。
ひとつめは,講師の社会性の低さ。
民間企業などで働いたことがない講師の割合が高いためだと推測されますが,オフィシャルな電話に「もしもし」と応答したり,他人の座席の横にあるゴミ箱に自分が食べた弁当のゴミを捨てに来たり,などなどと,社会人経験がある人間であれば,こんなことはあり得ない所作です。また,常識的な大人としてのコミュニケーション能力が低く,親しいヒト以外とは目も合わせず,当然,会話もしません。10歳代,20歳代の理系男子ならそれでもよいのですが,少なくとも40,50年以上も生きているオッサン,オジンが,挨拶さえも返せない。
ふたつめは,上下関係と学閥の存在です。
予備校講師というのは,個人個人で独立して仕事をしているため,わたくしは年齢や経験に関係なく対等であると思っています。ところが新人講師を「育ててやる」という“どあつかましい”にもほどがあるおせっかいな上下関係の感覚を,講師のみならず,なんと運営職員までもがもっていました。予備校講師というのは,結果を残せなかったら使いモノにならないわけで,末路哀れでみじめに野垂れ死にでよいのです。さらに学閥まで存在し,ひとつの科目の講師が同じ大学出身者で占められていることもざらにありました。“良識人”からみれば,こんな人間関係ってマガマガし~いと思いますが,当人たちにとっては居心地がよいものなのでしょうか。
そして,みっつめ,もっとも質(タチ)が悪いのは,
一般のヒトに比べて知識を少し多くもっているというだけで,「自分は“偉い”人間だ!」と思い込んでいる講師も存在し,校舎職員などに対して極めて横柄な態度をとっていました。
ところが,河合塾というのは,適度な距離感でつきあえば有益なビジネスパートナーになると気づくのに時間を要しませんでした。
このような“愚鈍”な環境というは,浸り込まなければ,逆にとても居心地がよく,気づけば20年!! 同調圧力などにもまったく呑み込まれることなく,独自のスタンスで有益なビジネスパートナーとして河合塾様とおつきあいさせていただいております。
ほんとうに,ありがとうございます。
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